あなたと私の空き家問題

中川寛子(住まいと街の解説者)

2016.07.31

#01「空き家問題」は誰の問題か

建て直された赤坂プリンスホテルのすぐ脇、広尾の商店街から一本入った路地沿い、神宮前の裏通り……、ここ2〜3年、どこの街を歩いても空き家と思しき建物を見ることが増えた。都心から遠い場所や地方都市、坂の上など居住に不利な条件がある場所だけではなく、日本全国のありとあらゆる場所で空き家が増えているのだ。

増える理由は複雑だ。もっとも大きな要因は1968年時点で住宅戸数が世帯数を上回り、同時期に少子化、高齢化など、現在の空き家発生に寄与しているであろう日本の将来人口の問題点も明らかになっていたにも関わらず、じゃんじゃん住宅を建て続けてきたという点。住宅建設は経済に波及する効果が高いため、景気が悪くなったら家を建てさせて回復を図ろうとする政策が当然のようにまかり通ってきたのだ。

2013年には820万戸に上った空き家数。上のグラフを見ると1968年時点で世帯数を住宅数が上回っていることがわかる。
〔出典:総務省統計局「平成25年住宅・土地統計調査」〕

その他、住宅の質や古い住宅に価値がないとみなされる問題、相続対策として建てられるアパート、登記制度の不備その他、様々な問題が挙げられ、それらが絡み合った結果が空き家と言えるのだが、個人の、家族の問題として考えると、大きく3つの理由が挙げられる。

ひとつは親が地方に、子どもが都会になどと異なる場所に居住しているというケースが少なくないこと。家を相続しても仕事、教育その他の問題から郷里には帰れない、帰らないとなると、実家は空き家になるしかない。

ここには生活の変化という問題も絡んでくる。親、祖父母の時代なら駅から遠くても、通勤に何度も乗換えが必要でもさほど気にならなかっただろうが、共働きの多い、忙しい今の若い世代は利便性が気になる。親の家が首都圏その他、子どもが通えなくはない場所にあったとしても捨て置かれるのはそのためだ。

もし、至近距離に住んでいたとしても、相続の高齢化という問題がある。20代、30代で相続すれば親の家に住むかもしれないが、50代、60代の相続では子もすでに我が家を購入しているケースが多い。それを捨ててまで住みたいほど親の家が素晴らしいというなら違う展開もあり得ようが、総じて古い家は断熱性能などが低く、そうした展開はあまり見られない。

もうひとつは少子化。一人っ子同士が結婚すれば親の家は2軒あることになり、その後自分たちも購入すると、計3軒。さらに親族に子どものいないおじさん、おばさんなどがいればそうした物件が回ってくることもあり得る。そう考えると、空き家問題は誰の身にも降りかかってきかねない、誰が悪いともいえない問題なのである。

個人や家族の問題と社会構造の問題が組み合わさった結果、増え続ける空き家たち。誰もが空き家の当事者になり得る時代なのだ。 写真提供:(株)東京情報堂

個人や家族の問題と社会構造の問題が組み合わさった結果、増え続ける空き家たち。誰もが空き家の当事者になり得る時代なのだ。(写真提供:(株)東京情報堂)

が、不思議なのは、これだけ騒がれているのに現時点では問題が少しも解決していないように感じられることである。実はここに空き家問題の、本来的な問題以上に大きな問題がある。高齢の空き家所有者は自分の所有する物件が空き家だと思っていないことが多く、問題だとも思っていない人が大半なのである。

だから、世の中がどんなに騒いでいても、彼らの耳には入っていない。うっかりすると「空き家を放置しておくなんてけしからん」と憤慨する人が実は空き家所有者だった(!)という笑い話に遭遇したことすらあるほどだ。

これには空き家の定義が明確でないこと、家は腐らないと思われていることが影響している。空き家特措法は第2条で「居住その他の使用がなされていないことが常態である建築物」を空き家としており、具体的には1年を通して人の出入りや電気、ガス、水道の使用がないことを判断基準にしている。となると、年に一度帰省時に利用しているケースは空き家に当てはまらないことになるが、実態として考えるとどうだろう。

さらに空き家調査に至っては目視での確認となっており、実態との乖離も指摘される。増えているといわれるものの、本当かというのはこの辺りの問題を踏まえた上での論議である。だが、この点を個人が気にする必要はない。国として、自治体としてはデータを踏まえた上で何かを考える必要があるだろうが、個人としては我が家の問題をどう解決するかを考えるしかないのだ。

また、トマトや魚であれば腐るから早く処分しようと思うが、家となると半年、1年程度では変化に気づきにくい。実際には長期留守にした後に室内がむっとするように、閉めっぱなしの住宅は湿気がたまり、劣化が進むのだが、人は日々少しずつの変化には気づきにくい。10年ぶりに会った友人の変化はぱっと見て分かるが、毎日一緒にいる家族の変化に気づきにくいのと同じだ。

高齢になればなるほど、時間の変化に鈍感になるという問題もある。我が家の近所に「少し休業します」と貼り紙のある蕎麦屋があるが、この店はもう18年ほど閉ざされたまま。2階には人が住んでいるのでさほど劣化してはいないが、18年は普通には少しという期間ではない。だが、高齢者の話を聞いていると、つい最近が10年前ということも珍しくない。ほんの少し、様子を見るつもりがあっという間に歳月が経ち……ということが起こりがちなのである。

だが、さすがに5年、10年と時間が経ってしまうと、どんな家も劣化する。親が相続した家を放置したまま、それを子が相続する時になると最初の相続時点ではまだまだ使えた家が廃墟になって子の手に渡ることになる。そうなってからでは少なからぬ費用がかかることになる。遠く離れた場所にある場合など、忘れていようと思えば忘れてはいられるが、その代償は当初より放置した後のほうが大きく付く。今後、空き家に対する目がより厳しくなるであろうことを考えると、相続する可能性がある、残す可能性がある人はその家をどうすべきか、早いうちから親子兄弟などと話しあっておく必要があるのではないだろうか。

中川寛子(なかがわ・ひろこ)

住まいと街の解説者。(株)東京情報堂代表取締役。30年以上不動産を中心にした編集業務に携わり、近年は地盤、行政サービスその他街をテーマにした取材、原稿が多い。主な著書に「解決!空き家問題」(ちくま新書)「この街に住んではいけない」(マガジンハウス)など。日本地理学会、日本地形学連合、東京スリバチ学会会員。All About「住みやすい街選び(首都圏)」ガイド

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