建物ではなく「目線」を変える
40年ぶりの満室を導いた古ビル再生物語

熊本県熊本市中央区
『第2林ビル』
ウエダ不動産事ム所(カリアゲ熊本)

2020.03.30

今回ご紹介するのは、熊本の中心地から少し離れた八丁馬場に建つ『第2林ビル』。昭和45年築の4階建てで、周囲は事業用テナントニーズが少ない住宅地。「古いしエレベーターも駐車場もないし」とオーナーは募集に消極的で、3階、4階は20年近く空室、路面に面した1階の一室すらも長らく空室が続いていました。そんな古ビルが現在は満室稼働。でも、募集時に部屋をキレイにリノベーションしたわけでも、外装や共用部を刷新したわけでもありません。空きビルを再生に導いたのは、ちょっと変わった不動産屋による「目線」のリノベーションでした。

「街の中心地から外れた古ビル」の見方を変える

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ウエダ不動産事ム所代表の上田洋平さん。「不動産屋らしくない不動産屋」を信条に、不動産の仲介や管理、コンサルを行っています

『第2林ビル』の再生のきっかけをつくったのは、1階に入居しているウエダ不動産事ム所。“価値のないものとされて埋もれている物件たちに新たな価値を見出す”というコンセプトのもと、リノベーション済み物件やヴィンテージマンション、古民家など、一般的な不動産ポータルサイトとは異なる物件を紹介する不動産サイト『あんぐら不動産』を運営しており、カリアゲJAPANのパートナーとして『カリアゲ熊本』の運営もしています。

「気持ちのいい場所で仕事がしたいと思って、江津湖周辺で物件を探していました。江津湖は熊本市民の憩いの場で、周辺は閑静な住宅地。市の中心地からは離れているけど市電の電停は目の前にあるし、ビルの裏は開けていて、いいなぁと。最初は江津湖の緑が見える4階の部屋にしようと思ったんですが、1階を見ていたらイメージが湧いてきたんです」(ウエダ不動産事ム所代表・上田洋平さん)

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事務所兼ショップの改装は熊本のリノベーション会社、ASTERに依頼。左はスタッフの関愛さん

事務所としての魅力が一見少なそうな第2林ビルに、「気持ちよく働ける場所」という新しい価値を見出した上田さん。1階の路面に事務所を構えられたことは、不動産屋の在り方を変えるトライにもつながりました。

「事務所の半分は、『FREITAG』のショップとして営業しています。不動産屋って、普通の人は普段はなかなか行く機会がないところじゃないですか。取り扱う“商品”も、あるのは店の外。ショップをやれば、不動産に用がない人も気軽に来れるし、不動産屋としての集客や宣伝も兼ねられる。使用済みのトラックの帆や自動車のタイヤチューブなど本来廃棄されるはずだったものを再利用するというFREITAGのコンセプトがあんぐら不動産に重なったことも、販売したいと思った理由でした」(上田さん)

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電車通りに面した側は完全にショップの様相。FREITAGのほかに、上田さんが見つけてきたヴィンテージ家具なども販売

取材中も、FREITAGのアイテムを見に何組かお客様が来店していました。看板や店内に置かれたショップカードから不動産屋でもあることを知るお客様も多く、物件の相談に発展することも少なくないそうです。「中心地から離れている」「古い」という短所は「賃料の手頃さ」という長所に変わり、1階路面で不動産屋の宣伝集客も兼ねるショップを実現することができた上田さん。そしてウエダ不動産事ム所の入居から、第2林ビルの緩やかな変革は始まっていきました。

「古ビル+改装OK」がもたらした働き方の自由と広がり

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ビルの目の前は八丁馬場電停。立地といい規模感といい、建築された50年前は地域の花形物件であったことが伺えます

第2林ビルへ入居後、オーナーからビル全体の管理も委託された上田さん。1階には昔から入居しているお店、2階も長く入居している会社がいるものの、3階と4階は全室空室という状況でした。しかしオーナーは「エレベーターなし・駐車場なしの古ビル」ということから、募集については消極的なまま。

古ビルの空室対策と聞くと、イメージされるのは建物全体のフルリノベーションや、「シェアオフィスやコワーキングにする」といった企画ですが、第2林ビルの場合、お金を生まない物件にお金はかけられないという理由で、そういった選択肢もなし。そこで上田さんは、原状回復義務なしの「改装OK」物件として、あんぐら不動産で入居者を募集しました。

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古いものの、ゆったりした階段や広いホールなど、共用部分からは建築当時の時代のゆとりが感じられます

「ビル全体の雰囲気は良かったし、古くてもこのレトロ感を好いてくれる人はいると思いました。2016年の熊本地震以降、熊本では“熊本の良いところ”を改めて見つめるという気運が高まっていて、江津湖もそうした“良いところ”のひとつ。江津湖の近さは魅力だし、今の時代、仕事場所が街中である必要がない人も増えてきています。“改装OK”という条件は、感度の高い入居者のフックになり、“僕たち自身が入居している”という点も、入居者属性の絞り込みにつながるだろうと考えました」(上田さん)

そうして募集をかけた4室は、半年ほどで全室入居が決定。上田さんの目論見は当たり、個性豊かな面々が第2林ビルに集まりました。

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4階に入居中の古屋雄三さん。東京とは違う環境を求めて熊本に移住したこともあり、街中で働くことにはこだわらなかったそう

「基本的に一人で作業しているので、自宅から通いやすい場所であれば、仕事場が街中である必要はありませんでした。ここは江津湖が近くて気持ちが良いし、眺めの良いバルコニーが気に入っています」

そう話すのは、4階に入居したウェブ制作やグラフィックデザインなどを手がけるPARK IT DESIGNの古屋雄三さん。上田さんに紹介してもらった内装会社に依頼し、既存のタイルカーペットを剥がして、躯体床を現しにして塗装。天井は白かったものをご友人の手も借りてDIYで黒く塗装しました。

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左・バルコニーは入居後に防水塗装を行ってもらったそう/右・竣工当時のままのレトロな流し台がおしゃれに見える不思議

「前は練兵町にある早野ビルで友人と事務所をシェアしていて、それ以前もずっとシェアオフィス。シルクスクリーンでTシャツ作りもしているので、流しと広さが必要だったんです。初めて一人で借りる事務所が、この面積で手頃な賃料だったのは、良かったですね。エレベーターがないこと?そういえば気にしてませんでした」(古屋さん)

タープが張られたバルコニー、ヴィンテージな家具やグリーンが無造作に置かれた古屋さんの事務所を見ていると、利便性や新しさよりも心地よさを働く場所に求めていることが伝わってきます。

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青年時代は国内外でDJとして活躍していた馬本貴明さん。その経験を生かして地元・熊本でTATSUDA RECORDSを開店

第2林ビルとの出会いで理想のお店づくりを実現したのは、4階に入居しているTATSUDA RECORDSの馬本貴明さん。海外から直に買い付けたレコードとオーディオアクセサリーを扱っており、商品は基本的にオンラインで販売しています。第2林ビルに構えたこの場所は、予約制でお客様を招く“バイナルサロン”という位置付け(※「バイナル」はレコードの意)。サロンには4000枚以上のレコードがあり、アンプと巨大なスピーカーも置かれ、気になる円盤やオーディオアクセサリーによる音を視聴することができます。

「通りすがりのお客さんに来てもらうのが目的ではないから、看板は出していません。以前はもっと街中に店を構えていて、どんな人も来れるお店でした。でも、コアなレコードファンと密にコミュニケーションが取れる場所がつくりたくて、物件探しでは、ネオン街の一角だとか雑居ビルの一室だとか、変な物件ばかり見てました(笑)」(馬本さん)

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「ケーブルや電源で音が変わる」と、カスタムオーディオケーブルも販売している馬本さん。店内には視聴用の音響設備が鎮座

「隠れ家的な環境」だけでなく「音を出せる環境」としても第2林ビルは馬本さんの理想に適っていたそう。鉄筋コンクリート造で最上階の角部屋、床はもともとタイルカーペット貼りで、天井も吸音性のある有孔板仕上げでした。馬本さんはDIYで天井を黒く塗装し、壁は既存の壁紙を剥がしてグレーに塗装。独特の質感は塗装して金たわしで削るという行程を繰り返して作り出したと言います。

「賃貸物件って、古くなった内装に上書きが重ねられたものが多いでしょう?でも今の時代は、引くデザインが主流。改装OKで内装が好きにいじれる点も、入居の決め手になりましたね」(馬本さん)

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撮影やイベントを想定し、可動式の家具を造作したモンブランのオフィス。左が竹田京司さん、右は社外パートナーの野田陽介さん

3階に入居したのは、ウェブ制作やグラフィックデザインを行う株式会社モンブラン。同社も古屋さんと同じく練兵町の早野ビルにオフィスを構えていましたが、手狭になったため第2林ビルに移転。新オフィスの広さは以前の2倍。しかしモンブラン代表の竹田京司さんが求めていたのは、デスクワークのための広さではありませんでした。

「うちの会社は以前からテレワークを採用していて、オフィスに来ても来なくてもいいスタイルなんです。じゃあなぜ広さが必要だったかというと、活動の幅を広げたかったから。第2林ビルに来てから始めた活動のひとつが『WHITE BASE』。月に一度、ここにゲストクリエイターを招いて、その仕事の内容やその職業になるための方法、仕事術などを講義してもらう会です。参加者はクリエイター仲間や学生などで、そこでクリエイター同士がつながったりビジネスに発展する場面も生まれてきています」(竹田さん)

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EDITORS SAGA・中村美由希さんをゲストに招いた際の「WHITE BASE」。刺激と交流が生まれる場所(写真提供:WHITE BASE)

竹田さんはほかにも、社外のクリエイター仲間とつくった制作チーム・MONSTERとして、“九州を面白がる。面白くする!”というコンセプトで九州のさまざまな情報を発信する『Touch your Qshu』というサイトを運営。このサイトには、地元クリエイターと地元企業をつなぐというマッチングの目的もあり、制作時の撮影場所としてもこのオフィスを使っているそう。

「ここはオフィスというより、プラットフォームのような存在ですね。“何しようかなー”と考えられる、自由な場所を手に入れた感じ。街中ではないことも、飛び込み営業が来なくなったのでよかった(笑)。江津湖が近くて気持ちがいい環境であることも、惹かれたポイントです」(竹田さん)

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3階に入居している松田美由紀さん。床と天井を躯体現しにしたスペースとモルタル床に合板天井のキッチンという、クールな空間

最後にご紹介する松田美由紀さんは、広告やTVCMなどで活躍するスタイリスト。以前はご自宅で仕事をしていましたが、家事育児と並行で作業せざるを得ないことや仕事の荷物が多くなったことから、仕事場も確保できる家を探してウエダ不動産事ム所を訪問。「3階空いてるけど、仕事場としてどう?」と上田さんに勧められ、その開放的な空間に“気がいい”と感じたことが入居を決めるきっかけになったそう。

「友人がかけてくれた“家は稼がないけど、仕事場は稼いでくれる”という言葉も、入居の後押しになりました。実際、こういう場所を持ったことは、仕事を広げることにつながりました。もともとフードスタイリングもしていて、調理と撮影ができる場所が欲しかったので、改装OKならキッチンは絶対に作ろう!と。グランマデザイン設計室の川端亜紀さんにお願いして、リノベーションしました。そうしたらフードの仕事もですが、インテリアスタイリングの仕事も増えたんです」(松田さん)

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左・背板のないシェルフでキッチン後ろを納戸として仕切りつつ、空間の抜けはキープ/右・自然光がふんだんに入る撮影向きな空間

3階ですがエレベーターがないので、家具などを出し入れする機会が多いインテリア系の仕事が増えたのは盲点だったと笑う松田さんですが、自宅やお子さんの通う学校から近く、電停が目の前にある立地は、運転免許を持っていないアシスタントさんも通いやすく、仕事も生活もしやすくなったと言います。

「知り合いのブランドの展示会に使ってもらったり、友人に美容整体の施術場所として使ってもらうこともあります。“ここでやってみたら?”と私から言うときもあるし、“やっていい?”と言われる場合もあります。そうした人との出会いや交流が次の仕事につながっていく。私にとってここはポートフォリオのようなもの。打ち合わせ以外で人を呼ぶ機会は少ないので、そうした展示会のタイミングでここを見てもらうことができるし、良い営業機会にもなっています」(松田さん)

第2林ビルの入居者たちの声に共通するのは、「街の中心地でなくてもいい」「気持ちいい場所で仕事がしたい」ということ。事務所としてのニーズが少なそうなエリアの古ビルでも、目線を変えてアプローチすれば、魅力を感じる人はいるということを教えてくれます。

入居者によってビルをリブランディングする

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近所で空間設備機器の設計施工業を営んでいる第2林ビルのオーナー・林信行さん。お父様との思い出のビルに賑わいが戻りました

修繕も大規模改修もなしで募集をかけた第2林ビル。何十年も空室を抱えていたビルがわずか半年で満室になったことには、オーナーである林信行さんも驚いたそうです。

「このビルは、私が24、5歳の頃に父が建てたんです。この辺りは昔から住宅地で、たぶん最初に建った鉄筋コンクリートビルだったんじゃないかな。正直、“どうせ入らないだろう”と思っていたので、びっくりしましたね(笑)。古くてエレベーターがなくても、こんなふうに若い人が入ってくれるものなんだなと感心しました」(林さん)

林さんは満室化のお祝いとして、外装と共用部の修繕工事を昨年実施。ビルのレトロなイメージをつくっているタイルはそのまま、白塗装だった部分をシックなグレーで塗り直しました。

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塗装壁のグレーは上田さんと相談して決めたそう。入居してくれた人たちのために建物に手を入れていくという好循環が生まれました

「不動産のリブランディングって、デザインや企画だけではないんだなということを、第2林ビルに携わって改めて感じました。結局は、入居する人がどんな人かで、建物のイメージが変わってくる。僕らが第2林ビルに入居したことが影響しているかはわからないですけど、最近近くにおしゃれな美容室ができたんです。そうやってエリアのイメージも変わっていったら面白いですよね。今後もこういう街の中に埋もれている不動産を見つけて、その価値を変えていきたいと思っています」(上田さん)

街中には「古いから」「不人気なロケーションだから」「資金がないから」といった理由で、積極的な募集がかけられず、空室を抱えているビルが多くあります。ビルは建物規模が大きい分、空室解消のためのアクションが大掛かりになりそうなイメージがありますが、第2林ビルの再生物語は、費用を費やして改修するだけが手立てではないこと、古いビルにも可能性があることを示しています。

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電車通りの反対側から見えるのは江津湖の緑。低層の住宅地で空が開けている開放感も、入居者たちの入居のフックになっていました

 

あんぐら不動産:https://kumamoto-ug.com/
PARK IT DESIGN:http://mediapunta.com
TATSUDA RECORDS:https://www.facebook.com/tatsudarecords
株式会社モンブラン:https://mont.jp
WHITE BASE:https://monstar.jp/whitebase
Touch your Qshu:https://tyq.jp
松田美由紀さんのinstagram:@scarlet.stylist55

熊本の空き家再生「カリアゲ熊本」(カリアゲパートナー:ウエダ不動産事ム所
現状そのままで空き家を活用「ソノママ」

interview_佐藤可奈子

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