ありふれたまち、Mについて

田中元子(ground level / mosaki)

2016.07.31

#01 あなたのとなりに、Mはある

育ったまちが、フツーだった

育った田舎が、フツーだった。今思い出しても、恐ろしくフツーである。

都会でも歓楽街でも、海辺でも里山でもなく、景勝地でも温泉地でもなく、牧場や棚田があるわけでもなく、名を馳せるほどの史跡や老舗が残されているわけでもなく、特筆すべき名産品もなく、風光明媚でもなく、かといって郊外と呼ばれるほどの住宅地でもない。

駅前から続く市街地は、数十年前までは小さくとも活気のある商業地域だったが、いまや絵に描いたようなシャッター通りとなり、その向こうでは、国道がビュンビュンと走り抜けてゆく。一応、駅と書いたけれど、通っているのは電車ではなくディーゼル車で、日中は一時間に一本、一両。それはまるで弁当箱が音を立てながらゆっくり進んでいくような、呑気で奇妙な風景だ。我が家から歩いて5分ほどの最寄駅は無人で、外から来た人にはよく、公衆便所と間違えられるほど、素朴な風情があるわけでもなく、ただただ貧相だった。

水海道。かつてそこは、人口2万人ほどを横ばいする、小さな市だった。2006年に市町村合併し、今は常総市水海道という地名が残っている。関東平野のほぼ中央に位置するため、地形の凹凸はほとんど感じない。遠くに小さく、筑波山が見えるだけだ。

恨みがあるわけでもない、ましてや揶揄したいわけでもない。私は6歳から18歳までの12年間、そういうまちで暮らしていた。

私と水海道

旧水海道市の市街地エリアから、さらに北にずれた森下町という小さなまちで、外科医だった父は、総合病院を開業していた。両親は水海道に縁もゆかりもなかったが、諸事情あって、転がるようにしてここにやってきたのだった。だから私たち田中家には、周囲に親戚が住んでいる、などという関係性もない。この土地のしきたりも知らない、この土地の訛りも話せない。全く馴染みがない。我が家は、完全なる異邦人だった。

家が学区のはずれだったので、私は片道2km以上もある通学路を、歩いて通った。家がそんなに遠い子は他にいなかったので、帰り道では、友だちと学校を出発したとしても、ひとり、ふたりと家に到着するのを見届け、そのうちひとりになるのだった。でもその時間に見たもの、触れたものだけを、不思議とよく覚えている。草むら、野花、昆虫たち。特に好きだったのは、利根川の下流に橋が架かったふもとあたりに雑然と残された、煉瓦の壁の跡だった。

水海道という地名にも残されている通り、このまちは明治時代、河川を利用した物流で栄え、早い時期からガス灯が街を照らしていたという。そんな歴史は後から知ったわけだが、知識を持たない時分であっても、藪に覆われ、すっかり角を落として丸みを帯びた煉瓦の存在は、私という子どもを惹き付けた。今思えば、あれこそ物理的な意味での町の遺産そのものだったはずだが、それについて語るひとは、誰もいなかった。

完全に町に根付いた子どもたちと違って、余所者でどこかういていた田中家の娘である私が、やっと現地の言葉で口げんかのひとつもできるようになった頃、この田舎町では当時珍しかった中学受験をして、遠くのまちまで通学することになった。せっかくだったが、私は12歳で水海道の地縁を失った。住み続けてはいたものの、ほとんどの時間を別の町で過ごし、水海道の街とも人とも、触れる機会はなくなってしまった。高校を出てからは、寝に帰る場所ですらなくなった。18歳から東京で暮らし始めて、40歳になった現在に至るまで、水海道に再び住み戻ったことは、一度もない。

その間に、ブラジル人人口が急激に増えて、駅前のパチンコ屋はブラジル語でしか書かれていないブラジリアンスーパーになって、あの頃営業していた商店のほとんどが店を畳み、周辺地区のつくば市や守谷市が次々と都会的に開発されていく中で、水海道は取り残されたようにじっとしていて、だから人々はあちこちに散っていき、戻っては来なくなってしまったから、まちにはそれらの抜け殻だけが残っている。

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語るすべもない問題

愛着や望郷がなかったし、そもそもそういうものを抱くきっかけとなるような、フックがなかった。特徴すらうまく掴めない、顔のない町。しつこいようだが、都会の人たちが「田舎」とか「地方」とかいう言葉に多少たりとも期待するようなものは、ここには一切ない。一斉高齢化したニュータウンや、かつて隆盛した観光地、消滅可能性都市。問題だ、問題だと言われているそういった場所はまだ、恵まれている。少なくとも、語るすべがあるからだ。

わかってもらえるだろうか。水海道がいかに語りにくい、語られない、匿名性の高い町であるかということ、そして実はそんな、ありふれた町こそが、第二次ベビーブーム世代を大量に育てあげたこと、つまり私だけでなく「私たち」にとってのフツーの町であること、そしてこの世代を巣立たせた現在、代謝が起きずに時が停滞した成れの果てが、全国各地で、ただ静かに佇んでいる、そんな現在を。深刻な問題は、実はこっちにあるんじゃないだろうか。

(続く)

田中元子(たなか・もとこ)

ground level代表。1975年茨城県生まれ。独学で建築を学ぶ。2004年mosaki共同設立。建築コミュニケーターとして、執筆、プロデュース、企画など、さまざまに活動。2010年より「けんちく体操」に参画。2014年、『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』(エクスナレッジ)を上梓。近年は「アーバンキャンプ」や「パーソナル屋台」など、ダイレクトにまちや都市、ひとに関わるプロジェクトに重点をシフトさせている。2016年より「グランドレベル」始動。(photo:kenshu shintsubo)

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