ありふれたまち、Mについて

田中元子(ground level / mosaki)

2016.12.27

#03 戻れないM

憧れの一軒家

何の特徴があるわけでもないが、自分にとってはなんとも懐かしい、一軒家だった。

この家は私がまだ子どもの頃、病院の職員が社宅として、借りて住んでいた。あの頃、一軒家というビルディングタイプは、私の憧れだった。こんな小さな家を目にしても。

私は水海道に来てから、ずっと病院の一部を家とした場所に暮らしていたから、いわゆる家らしい家に住んだ経験は、このまちに来る前で、途絶えていた。ドタバタと家の中を走り回ったり、地面から続く玄関だったり。そんなサザエさんやドラえもんに出てくるような、典型的な一軒家での暮らしって、どんな感じなんだろう。そんな目で、この家を見ていた。

そして20余年経ち、憧れは目の前で、過疎の進むまちの片隅で、ひどく被災した空き家となっていた。

その姿、そのまちを見て、正直、被災っていうのはこうなるのか、という好奇心しか湧かなかった。懐かしさを凌駕するレベルで、被災していた。何もかも、泥まみれだった。

粉っぽい玄関扉を開けて中に入ると、リビングだったであろう空間の床は未だにグズグズで、白い壁には、目の高さあたりにラインを引いたようにして、泥汚れが水平に残っていた。それは被災時の最高水位を物語る線だった。

ああ、こんな高さまで水が溜まったのか。泥だらけの生け垣、泥だらけのガラス戸、泥だらけの縁側。うちだけじゃない。周りの建物、一軒一軒の中が、今私が見ている状態になっているわけだ。

私が暮らした町は今、見た目にもわかる被災状況にあって、さらに建物の中では、そういう状況に対峙する人々が、それぞれに生きている。

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だから「リフォーム」ではなく

早く修理しなさいよ、前に住んでいたブラジル人のご家族も、戻ってきてくれる意向はあるみたいだから。母親から何度も何度も催促されたが、私はこれに、どう手を付けていいものか、考える時間が欲しかった。

これまで長いこと、建築に関わる仕事をしてきた自分が、この家、この町の、この状態を見てしまった今、「修理」でいいのか。床を直して、壁紙を貼って。過去そうであった状態をなぞることを「元に戻す」と呼んでいて、いいんだろうか。

曲がりなりにも建築関係の仕事を続けてきて、東京でたくさんの知識や見識を得て、そうやって今ここに戻ってきた自分の立場としては、わかっていなくちゃいけない。このまちはもう、どこにも戻れないってことを。

それは被災の前後という問題ではない。水害というわかりやすいアクシデントが来る前から、別の「害」はゆっくりと時間をかけて、どこからでもなくここから湧くようにして、じわじわとこの町を侵食してきたのではないか。この町に暮らしていた時分、私はまさにそれを目の当たりにしながら、毎日を生きていたのではないか。

あの頃から、空き家なんて珍しくもなかった。人だって減り始めていた。戻す戻すって、過去のどのポイントを指しているのだろう。元に戻せば、わずかながらも安定した定期収入が、なんて言うけれど、私の目から見て、そんなことは信じられなかった。

ここに住む誰かが、この町をよしとして、すこやかに納得して生活するという前提は、ただ戻す、つまりこの家単体をリフォームするだけで持続的に得られる条件では、ないんじゃないか。リフォームという選択は、私にはあり得なかった。私はそんなの、いやだ。

あの頃からずっとこの町に欠けていた、何か、よいことをしたい。大家として、少し考えれば当然の話だと思う。

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リニュータウン構想

日を改めて、私は毎月、東京は谷中のHAGISOで開催されている建築系のトークイベント「建築夜話」で知り合った、ルーヴィスの福井信行さん、デッセンスの山本和豊さんにお声がけして、一緒にこの空き家を見に行ってもらうことにした。福井さんは海際の小さなまちでベーグル屋さんを出店し、また山本さんは町外れの倉庫を超カッコいい雑貨屋さんにしている。ふたりとも、自ら事業者となりながら、将来的に伸びゆく見込みのないまちを、見てきている。今回、私の空き家では、ただのリフォームではないとしたら、何をすべきなのか。一緒に考えてもらうには、願ってもない頼もしいメンバーだった。

みんなでぶらぶらとエリアを散策しながら、周囲のあちこちに空き家が余るほどあるのを見ていて、こう思った。ここは、敷地だ。住まうでもない、商売があるわけでもない、そもそもひとがいない。もはやまちと呼べる状態ではない。ただ、空き箱がゴロゴロしている、立体的な更地なのだ。そして誰もデベロップメントしない。つまりお金さえあれば、勝手に、個人的に、今すぐ都市計画を実現できるキャンバスになっているのだ。

絶望的な光景を眺め続けて、一周回ってワクワクしてきた。よーし、ここで都市計画、しよう。ひとつひとつの空き家に手を入れていって、ニュータウンをつくるみたいに、ここでリノベーションによる「リニュータウン」をやってみよう。その1発目としての「開発」を、自分の空き家でやってみよう。

どんなコンテンツを挿入したらいいだろう。この小さな駅の目の前に、分野別に分棟になった、小さな図書館が広がっていたら、楽しいかも知れない。地場産の食べ物を楽しめる、すてきな食堂があっても、いいかも知れない。ちょっと足を伸ばせば、つくば市も、東京さえも、射程に入る立地だ。まず地元のひとが楽しめて、それがうわさになって、外のひとも楽しめるような、そんな小さく盛り上がるエリアを、つくれないだろうか。

まずは福井さんに、自分の空き家を実測調査してもらうことにして、どこかでお茶でもしながら、夢を膨らまそう。じゃ、調査が終わる頃に待ち合わせしましょう!…と話したとき、壁にぶち当たった。「どこで待ち合わせましょうか」。

周囲を見渡した。頼りにしていたファミリーレストランは、浸水のドサクサに紛れて、店を畳んでいた。国道に出てさえ、散見されるのは、コンビニ、スーパー、閉じてしまった店舗の残骸…。改めて、ガッカリした。ここでは、腰掛けてお茶を飲む、ということすら、叶わないのだった。

待ち合わせは、子どもの頃から営業を続け、早々に浸水被害から立ち上がった、うどん屋ですることになった。夢もアイディアも膨らんだけれど、今この瞬間、自分がしなきゃいけないことは、まずは自分が必要と感じた場所をつくることではないか。それはつまり、ちょっと待ち合わせにお茶程度、ということができるような、カフェみたいなものじゃないだろうか。月並みだけど、それしかない。だって、ないんだから。

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田中元子(たなか・もとこ)

ground level代表。1975年茨城県生まれ。独学で建築を学ぶ。2004年mosaki共同設立。建築コミュニケーターとして、執筆、プロデュース、企画など、さまざまに活動。2010年より「けんちく体操」に参画。2014年、『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』(エクスナレッジ)を上梓。近年は「アーバンキャンプ」や「パーソナル屋台」など、ダイレクトにまちや都市、ひとに関わるプロジェクトに重点をシフトさせている。2016年より「グランドレベル」始動。(photo:kenshu shintsubo)

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