ありふれたまち、Mについて

田中元子(ground level / mosaki)

2018.08.22

#06 Mでやるべきこと

55年のハンサム物件

物件は、最寄りの森下駅から徒歩6分、わたしが暮らすマンションからは3分ほどの場所にあった。ちなみに森下駅は都営新宿線で新宿から直通、18分。たったそれだけで、意外と静かな、いや、ちょっと静かすぎるエリアに辿り着く。新宿のように大きな賑わいなんて、なくていい。けれど、小さな賑わいもない。駅前には商店街どころか、のんびりとお茶の一杯でも楽しめる場所すらなく、ポツポツと生き残っている昔ながらの店、あとはいくつかのチェーン店がバラバラに建っていて、人々は立ち止まりもせず、さっさと通り過ぎてゆく。そんな駅から少し歩くと、すぐに「まち」はパタリと終わって、マンションが建ち並ぶ住宅地に入る。小さく続く町工場や倉庫、時に空き家が、マンションたちの隙間を埋めるように建っているところに、辛うじてこのまちの、かつての面影が感じられる。

それにしても、ひとけがない。この通りを誰かが歩く姿も、通る車も、ほとんど見られない。これだけマンションが建ったんだから、人口は激増しているはずだ。なのに、この静けさ。逆に言うと、人が縦方向にしか増えていないのだ。水平方向を見渡しても、特に居場所がないのだから、当然人々は、さっさと建てに積み上がった建物の中に入ってしまう。これでは、いくら人が増えても、ひとけなんて感じられるはずがない。

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わたしは、この森下という、東京における「ありふれたM」のことを改めて考えた。かつてのまちの機能はほとんど失われ、今やどこにでもあるような新興住宅地と化している。そうだ、ここはありふれている。きっと日本のいろんなところに、Mはあるんだ。駅や商店。特徴のある街、魅力のある街、それらの狭間に、こんなふうに。

それにしても、案件のビルを初めて見たときは、興奮した。なんというか、顔つきがハンサムだったからだ。これは、いいビルだ。直感した。仕事柄ではない。本能的な感覚が残された人間という動物だからこそ、わかることがある。汚れてしまってはいるけれど、落ち着いたクリーム色で、フォルムはすっきりと直線的で、野暮なところがなく、なんとも堂々とした面構え。足元で枯れてしまったプランターがいくつか置き去りにされていた姿は、かつてはここで花を愛でていた証だ。いろいろな要素から、この物件がまちといい関係を紡いでいたように思われた。そして、いい立地だ。このエリアに住むわたし自身がこの物件に気付かずにいたくらいの裏通りではあるけれど、道幅は狭くなく、はす向かいには公園がある。向かいの通りはマンションの背中ばかりが並ぶが、この周囲にひとが住んでいることには違いない。端的に言うと、「気」がよかった。もう見えなくなってしまっているものたちの性質に、陰気さがなかった。3階建てでワンフロアが100平米。結構、広い。1階は、どこかから運んできた手袋を梱包するための、工場だった。工場主がこの建物の元オーナーでもあり、上階には一家が暮らしていたという。中に入ると、置き去りになった家具や荷物がいくつもあって、暮らしの面影が残っていた。

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消費されないものとはなにか

ところで、森下というまちは、ここにこそ何もないが、周囲のまちには個性豊かなコンテンツで溢れている。ちょっと南に行けば、ブルーボトルコーヒーが初上陸した清澄白河。ちょっと北に行けば、おしゃれなゲストハウスnuiをはじめとして、敏感なヤングたちに人気のまち、蔵前がある。東には歓楽街、錦糸町。西に行けば浅草橋や秋葉原、そのまま日本橋や東京、神田、銀座などにも歩いて行ける距離感だ。なぜかここだけ、取り残されたようにさみしい。だからわたしはわかっていた。森下に住む人々は、何でもすぐに手に入り、いいものも美味しいものも、おしゃれなものも、特段、珍しくも感じないはずだ。外来者によって一時もてはやされても、すぐに消費されてしまうだろう。そういうことは、提案したくなかった。じゃあ、そうでないものって、何だろう?

まず一住民として、お茶のひとつもできる場所が欲しい。カフェか。そう思ったとき、迷いが出た。末永く地域の人々に愛されるカフェって、他で見たこと、あっただろうか。気負いなくフラリと入ることができるような。そもそも、地域の人って誰を指すんだろう?昔ながらの住民だろうか。新しいマンションに引っ越してきた人たちだろうか。ほとんどの時間をこのまちで過ごしている在勤者だって「地域の人」じゃないだろうか?そうして思いを巡らせていると、わたしが見たい光景が浮かんできた。それは、お年寄りだけでもなく子どもだけでもない、遠くの人も近くの人も、病める人も元気な人も、友だち連れもカップルもおひとりさまも、あまねく人々が、この物件を抵抗なく利用している。それはまるで、ターゲッティングもフィルタリングもせず、あくまで無作為に、このまちが凝縮されているような、そんな光景だった。わたしはそんな光景を、一度だけ見たことがある。

ランドロマットカフェの光景

それは、半年ほど前に旅行したコペンハーゲンで出会った、とあるカフェでのことだった。名前は「ランドロマットカフェ」。ランドロマットとは、コインランドリーの意味だ。コインランドリーカフェ。最近日本でも耳にするようになった、いわゆるランドリーカフェというものを、わたしはコペンハーゲンで初めて見たのだった。ただし「ランドロマットカフェ」は、よく見かけるオシャレなコインランドリーとか、ずらりとカッコいいランドリーマシンが並んだ横にちょこっとコーヒースタンドがついている、といった、他のコインランドリーとの差別化を図るためにオシャレしている類のものとは、明らかに一線を画していた。

コペンハーゲンで出会った「ランドロマットカフェ」の店内。ランドロマットとはコインランドリーの意味

コペンハーゲンで出会った「ランドロマットカフェ」の店内。ランドロマットとはコインランドリーの意味

まず、入店してもどこにランドロマットがあるのか、わからない。店内は赤を基調とした、どこか懐かしさやかわいらしさを感じるあたたかな雰囲気で、そこでは老若男女いろいろなひとが、それぞれに寛いでいた。店内に置かれたおもちゃで遊ぶ子ども、道路作業着のままコーヒーを飲んでぼんやりする男性。楽しげな大学生風の数人グループ。窓際に座るカップルは多分若い夫婦だろう、夫はラップトップを開いて作業をしていて、向かいに座った妻は赤ちゃんを抱いてあやしている。なんだ、この光景は。

肝心のランドロマットは、店の外からは見えない、トイレに行く通路の脇あたりに、申し訳程度に設置されていた。その脇には、地域の情報を客が貼り出す掲示板もあって、やれヨガをやるとかマーケットだとか、個人個人が発信する情報がいくつも貼ってあった。店のどこかに洗濯機を数台置くだけで、カフェというものの存在感が、こうも変わるものか。わたしはこの店のことを思い出していたのだった。ここでやるべきことは、つまりこういうことなんだ。そうだ、ランドロマットカフェに来てもらおう。

田中元子(たなか・もとこ)

ground level代表。1975年茨城県生まれ。独学で建築を学ぶ。2004年mosaki共同設立。建築コミュニケーターとして、執筆、プロデュース、企画など、さまざまに活動。2010年より「けんちく体操」に参画。2014年、『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』(エクスナレッジ)を上梓。近年は「アーバンキャンプ」や「パーソナル屋台」など、ダイレクトにまちや都市、ひとに関わるプロジェクトに重点をシフトさせている。2016年より「グランドレベル」始動。(photo:kenshu shintsubo)

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