“空き家”になっているのは、住宅だけではありません。店舗や宿泊施設など、空室化した事業用物件の活用も日本各地で課題になっています。2015年12月、沖縄にオープンした『SPICE MOTEL OKINAWA』は、廃業した元モーテルを再生したデザインホテル。この施設の再生を手掛け、運営も行っているのは大阪発のリノベーション集団・アートアンドクラフトです。“リノベーション”の先駆者として、新しい不動産活用のスタイルを提案し続けてきた同社。代表の中谷ノボルさんに、日本を豊かにする空き家活用ビジネスのヒントを求めてお話を聞いてきました。
中谷ノボル(なかたに・のぼる)
アートアンドクラフト代表。一級建築士。1964年、大阪市生まれ。大学の建築学科を卒業後、マンションデペロッパーやハウスメーカーで、建築設計・不動産営業・現場監督を務め、1994年にアートアンドクラフトを設立。「均質化されていない住まい」の供給にこだわり、マンション、倉庫、ビルなどをリノベーションすることで、新しい都市居住スタイルを提案し続けている。
“OKINAWA”な風情漂うデザインホテルにリノベーション
那覇空港から車で約40分、アメリカンビレッジやアラハビーチがある北谷、かつて“基地の街”として賑わった旧称・コザの街にほど近いロケーションにある『SPICE MOTEL OKINAWA』。建物は1970年代に建てられた元モーテルで、2~3人で宿泊できる客室が17室。宿泊棟の1階には共用ロビーとミニキッチンがあります。元は倉庫だったという離れの建物はレセプション兼カフェに一新され、壁にはモーテル時代に使われていた「自動車ホテル」というネオンサインが。アメリカの統治下にあったかつての“OKINAWA”の雰囲気を漂わせる、海辺のリゾート系ホテルとは一線を画す宿です。
テーマにしたのは“モーテル文化の復活”。アメリカの西海岸に視察に行き、現地に残る昔ながらのモーテルを参考にしてつくりました。
沖縄は今、アジアを中心とした海外からの旅行客が増えています。当初はシェアアパートメントへの転用も考えましたが、もともとが宿泊施設だったので旅館業法のクリアは容易。事業性の点からもホテルとしての活用を選びました。
中谷さんが代表を務めるアートアンドクラフトがホテル事業をスタートしたのは2010年。設備メーカーの倉庫兼事務所兼宿舎として使われていた、1964年築のビルをリノベーションし、『HOSTEL 64 Osaka』をオープンしました。観光庁が発表したデータによると、2015年の大阪府内の宿泊施設の客室稼働率は85.2%で、2年連続で全国都道府県1位。昨今のインバウンド増加と、海外からの宿泊客を意識したつくりとサービスが受け、『HOSTEL 64 Osaka』は連日満室が続く人気の宿になっています。 リノベーション会社であるアートアンドクラフトがホテル事業を始めた理由はなんだったのでしょう?
大阪には“ええ感じ”の宿が少ないなと感じていたんです。ロングステイの旅行スタイルが一般的な欧米には、リーズナブルなB&Bやホステルがたくさんあるけれど、日本にはそういう宿が少ない。安く泊まれる宿を探そうとすると、すべてがチープだったりする。値段はそこそこ、それでいてそれなりの満足度がある宿があったらいいよね、という話から、「ないなら自分たちでつくってしまおう!」と始めたのが、『HOSTEL 64 Osaka』でした。
事務所ビルを旅館に用途変更した例は、『HOSTEL 64 Osaka』が国内初。旅館業法や建築基準法のクリアなど、宿泊施設にするための手続きや対応は当時、大変だったそう。しかし、インバウンド増加による国内の宿泊施設不足を受け、国はホテルの容積率緩和を新築だけでなく増改築や用途変更にも適用するなどの対策に着手。今後は既存施設を宿泊施設へ活用する際のハードルが下がることが期待されます。
そもそも家は宿の延長のようなもの。住宅のリノベーションをしていた会社なら、宿に求められているものも汲み取れるはず。ハード面の問題、法規面の問題への対応力もある。リノベーション会社とホテル事業の相性はいいと思いますね。
沖縄は“隠れ空き家”多し。空き物件で地域をブランディング
アートアンドクラフトの沖縄事務所を開設し、地元不動産会社の協力を得て沖縄でのリノベーション済み中古マンションの販売もスタートした中谷さん。移住先や別荘地としての人気も高い沖縄の空き家事情はどうなっているのでしょう?
沖縄は今、新築ラッシュ。那覇市周辺にはマンションがどんどん建築されていて、県外からの移住ニーズもあり、那覇への人口集中が進んでいます。古い建物では「外人住宅」と呼ばれるフラットハウスが人気です。一方、屋根に貯水タンクが残る典型的な沖縄のコンクリート住宅は注目されてません。昔ながらの沖縄的古民家も人気が乏しい。残念ながら市場に出る前に解体されることも多いです。
全国の総住宅数に対する空き家率が13.5%という過去最高の数値を示す中、沖縄県の空き家率は9.8%で、“空き家率の低い都道府県”で2位(※総務省統計局「平成25年住宅・土地統計調査」)。沖縄では借家の割合が49.8%と高く、持ち家が少ないことも空き家率の低さにつながっているようです。
とはいっても、実情は違う。先祖を祀っているからといった理由や、年に数回の祭事の際に親戚が集まって使うからというふうに、実際はほとんど使われず空き家化している家も多いんです。
そんな中、中谷さんが特に注目していると話すのは、『SPICE MOTEL OKINAWA』も位置する沖縄本島の中部エリア。基地が点在するこのエリアでは、基地の縮小でそれまで基地の人を相手にしていた商売を畳む店が出始め、空室化する事業用物件が増えているのだそう。
沖縄のミュージックシーンやダンスカルチャーを牽引してきたのは実は中部で、アメリカ占領下時代から多くのダンスホールやライブハウスがありました。琉球文化とアメリカ文化がミックスした、独特の文化が形成されている地域。沖縄の南北両方にアクセスしやすいロケーションというのも、中部の魅力です。
基地縮小で新たな開発が次々行われる中、中部は新しいイメージのブランディングが必要になってくるでしょう。同時に、開発から取り残される建物やエリアも問題になります。それらをリノベーションでどう生かしていくかということに、可能性を感じています。
全国の空き家を使って「暮らすような旅」を提案してみたい
空き家活用の取り組みとして、移住促進に取り組む自治体が増えている昨今。移住や二拠点生活に興味を持つ人たちも増えていますが、沖縄事務所開設にあたり生活の拠点も大阪から沖縄に移した中谷さんに、ライフスタイルの変化を聞いてみました。
時間の使い方が変わりましたね。夕方に仕事を終えた後、ふと思いついてビーチでひと泳ぎしてみたり。会いにくくなると思っていた友人たちは旅行がてら会いに来てくれるし、大阪で会っていたときよりもたくさん話す時間がもてるようになりました。沖縄で日々を送るようになって、それまでの暮らしでは、自然に触れたり、仕事以外のことをする時間が圧倒的に少なかったんだなと気づきましたね。
でも、「移住」ってまだまだ一部の人しかできない選択肢。移住に対して都会から逃げるようなイメージを抱く人もいるし、現代的な生活を否定して移住を選ぶ人もいます。それって、東京一極集中の結果だと思うんです。でも、地方にまで東京的なものを求めてもしょうがない。要はバランス。都市の利便性と自然などのローカルなもの、両方のいいところ取りをすればいいと思いますね。
インターネットが普及し、地方には大型ショッピングモールが進出。日本のどこにいても情報やモノの入手には困らない今の時代。LCCの参入で国内外の移動もリーズナブルにできるようになりました。中谷さんは、沖縄に暮らし始めて以降のほうが、大阪を始め、沖縄から近いアジアなど国外へ行く機会が増えたと言います。
僕は、旅するように暮らしたい。家をつくっている会社の代表がこういうこと言うのはなんだけど、家は持たなくていいかな(笑)。いろんな街や国を渡り歩きながら生活したい。旅先で、「自分がこの街に住むとしたら、どんなものがほしい?」「この街の魅力ってなんだろう?」といったことを考えるのが好きなんです。
沖縄での生活についても「移住というより、ロングステイの旅をしている感覚」と話す中谷さん。中谷さんが実践する「旅するような暮らし」には、これからの時代を生きる生活者としての暮らしの楽しみ方のヒントも含まれています。
ヨーロッパで起きている、国の垣根を越えて働いたり暮らしたりというようなスタイルがアジアにも浸透してきたら、沖縄の可能性はさらに広がると思います。沖縄を入口にして日本各地へと旅立つ旅行者も増えるでしょう。全国の空き家を宿泊施設にリノベーションしていって、ネットワーク化して旅行者をつなぐというのもいいかもしれませんね。
空き家を「問題」ではなく、楽しく豊かな街や暮らしをつくるための「素材」として捉え、リノベーションの可能性を追求し続ける中谷さん。「どう使うか」「どう直すか」という建物単位のアイデアだけでなく、建物と街、そして暮らしがどうつながっていくのか? というマクロな視点からのアプローチこそ、空き家活用を考える際に最も大切なことなのかもしれません。
interview&photograph_佐藤可奈子
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