#04 Mのためのきっかけづくり
リニュータウンのお手本
私の空き家を、カフェにしよう!それしかないと思った。ちょっとお茶でも、とすら言えない駅前なんて、さみしすぎる。だが、それだけでは終わらせない。手始めに、カフェだ。それから何年も何十年もかけて、ひとつ、またひとつと、少しずつ周囲の空き家にも、手を入れていけたら。そうだ、病院にも声をかけよう。地域医療と一緒に、必要な場所を整えていくことも、同時に叶えられたら。そしたら、リニュータウンが実現するのではないだろうか。
小さなリニュータウンのモデルとして、「KAWAGUCHI SHINMACHI」があった。「KAWAGUCHI SHINMACHI」とは、元植木屋だった、決してアクセスの良い立地ではない空き家を改修したカフェ「senkiya」と、その敷地内の倉庫などを改修した数件をまとめた総称で、カフェのほかにコーヒーの焙煎所やレザークラフトのアトリエ、雑貨店、オールドフォルクスワーゲンのレストア屋や建築設計事務所、ギャラリーなどが入居しており、センスの良い「群」となっているのだ。
そして、空き家の様子を見るために同行してもらったデッセンスの山本和豊さんが熊谷市に展開する、「NEWLAND」の影響も大きい。ひとけのない片田舎の巨大な倉庫を、ハイセンスな雑貨屋さんにして、これまた、既存のままだったらまずあり得ないような集客になっている。山本さんは店舗の設計なども手がける建築家で、今一番エッジーなブランドとの縁もあることを活かし、このエリアで見られることすら珍しい、ブランドのポップアップショップも実現させている。「NEWLAND」で定期的に開催されるマーケットでは、「NEWLAND」のマーケットであるという期待値からも、さらに来客が増えて、盛り上がる。山本さんは取りまとめの忙しい立場であるにもかかわらず、来場した子どもたちに、毎回スケボーを教えたりしている。
都市間格差に憤る
このふたつの事例から、私は消費者をつくる、ということについて考えさせられた。都会にも田舎にも、ショッピングモールはある。だけど、中身を見比べたことはあるだろうか。都会のショッピングモールには、今どきのブランド、今どきの服が並ぶ一方、田舎のショッピングモールには、聞いたこともないブランドの安い洋服屋がいくつも並んでいて、驚かされることがある。洋服ひとつにさえ、都市間の格差は存在しているのだ。
私はこの状況に、苛立っていた。どうして田舎に生まれただけで、つまらないもの、つまらないことで、人生が埋め尽くされてしまうのだろう?いわゆる郊外と呼ばれているような、開発された住宅地は、まだいい。それなりのインフラが整い、近郊の大型都市にいくらでも遊びに行くことができる。だけど、ここはどうだ。鉄道が通っている、といっても、かかる時間は自転車と大差ない呑気なディーゼル車が、1時間に一台。子どもの頃から、ここには何度か他の鉄道が伸びてくるとか、ディーゼル車が電気化するとか、まことしやかな噂もあったけれど、結局インフラの再構築も、大型再開発らしき波も一度も来ないまま、今、コーヒーを一杯飲む場所にさえ困っているという体たらくだ。そりゃ、若い人も居着かない。若い人のいないところに、若い人のためのモノもコトも、来ない。ますます居着かない。そんな悪循環に陥っている。ここをこのままにしておいて、よき消費者が育つわけもなければ、よき経済が循環するとも思えない。
とはいえ、そう考える私というひとりの人間ができることとは、何だろうか。センスのいいカフェを、つくればいいのかな。私だけではどうにもならないが、幸いなことに、私には日本でも屈指の感性を持ったクリエイターとの縁が深い。モノの心配はしなくて済む。問題は、運営なり、日々の接客だ。誰がカフェを切り盛りする?私が毎日、水海道に通って?それは現実味がない。「どう、カフェのマスターやらない?」母に相談しても、何だかのらりくらりとした返答。誰か、ここでセンスのいいカフェをやりませんか。そんな募集をかけてみる?本当に、見つけられる?…私はここで、完全に行き詰まった。
もう一度、考えなくては。あのふたつの事例に共通していること。それは、ショッピングやカフェといったものを、闇雲にインストールすることでは、なかったのではないだろうか。
つくるべきものは、これだけ
「senkiya」は、カフェや雑貨屋を営む彼らそれぞれが、よりいきいきと生きるために必要なコンテンツを、自然なかたちで受け容れるための、器だった。「NEWLAND」は、そこにあえて全く「馴染まない」インパクトでもって、ひとのセンスにスイッチを入れて、波紋のように広がり、ひとを立ち上がらせる、ビビッドな装置だった。山本さんが忙しい中でスケボーを教えていた理由も、少しだけわかった気がした。ふたつとも、その結果としての集客なり、ビジネスがある。主役は、あくまでそのまち、そのひと。「そこにいるひと」だったのだ。
私は、今まで何をやっていたのだろう。建築やまちに興味がありすぎて、肝心なことを、見失っていたような気がした。なぜここに「私が」リニュータウンを構想し、「私が」カフェをやることなんか、考えていたのだろう。この町に今、必要なのは、私の持ち得る知識でも、技術でも、企画でもない。私の姿、私の妄想なんか、見えなくていいのだ。
ただここに、スイッチとなる器を用意しよう。ここにいるひとが、このまちをつくらなくて、一体誰がつくるというのだろう。そのための、きっかけでいい。このまちに必要なのは、そしてあの頃からここに、ずーっとずーっとなかったもの、それはきっかけなんだ。つくるべきものは、これだけだ。きっかけをつくろう、物理的に。人々の、まちへの能動性スイッチがオンになるような、質のいい器をつくるのだ。匿名性が高く、しかし私にしか作り得ない、器を。
田中元子(たなか・もとこ)
ground level代表。1975年茨城県生まれ。独学で建築を学ぶ。2004年mosaki共同設立。建築コミュニケーターとして、執筆、プロデュース、企画など、さまざまに活動。2010年より「けんちく体操」に参画。2014年、『建築家が建てた妻と娘のしあわせな家』(エクスナレッジ)を上梓。近年は「アーバンキャンプ」や「パーソナル屋台」など、ダイレクトにまちや都市、ひとに関わるプロジェクトに重点をシフトさせている。2016年より「グランドレベル」始動。(photo:kenshu shintsubo)
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